今回は、”キング・オブ・モーターサイクル”とも言われるアメリカの有名オートバイメーカー「ハーレー・ダビットソン」についてご紹介します。
すべての始まりは1901年、当時21歳のウィリアム・S・ハーレーが自転車に組み込めるエンジンを手書きで設計したことにさかのぼります。
場所はアメリカ中西部のウィスコンシン州ミルウォーキーです。
1903年、ウィリアムは友人のアーサー・ダビッドソンとともに最初の自転車用バイクエンジンを開発。「ハーレー・ダビッドソン第一号(3馬力)」が誕生します。
トマトの空き缶など、当初は日常用品を駆使して作られたようです。
やがてアーサーの兄ウォルター・ダビッドソンとウィリアム・ダビッドソンが加わり、1906年には正式に「Harley-Davidson Motor Company」を設立。
1909年には、代名詞である「Vツインエンジン」の最初のバージョンも開発すると、馬力も7馬力にアップ。
1912年には日本にもバイクを輸出し、全体のディーラーネットワークは200拠点に達するなど、早くから成長していたようです。
1917年には、第一次世界大戦でアメリカ軍隊にバイクを販売。売上の半分が米軍向けとなりました。
1929年に世界恐慌が始まると、販売台数は18,036台(1930年)、10,407台(1931年)、7,218台(1932年)、3,703台(1933年)と大きく落ち込みますが、なんとか生き残ります。
設立から100年以上が経った今でも、強烈なインパクトを放つ新車種のリリースや海外進出の勢いは劣ることがありません。
2003年以降の業績推移をみてみましょう。
売上高は46億ドルから62億ドルほどで推移しています。
2009年には金融危機を主な原因とする営業利益の大きな凹みがあります。当時のハーレー・ダビットソンは、大規模なリストラと製造拠点の国外移転によって立て直しを行いました。
近年の経済環境は決して悪くないはずですが、ここ3年は減収減益となっています。
それではここからは、ハーレー・ダビットソンの事業内容と年次報告書(10-K)からみる財政状況、成長戦略などについてご紹介していきます。
ハーレー・ダビットソンをグループとして見ると、HDMC(Harley-Davidson Motor Company)とHDFS(Harley-Davidson Financial Services)の2つに分けることができます。